« 浜中和宏、猪木事務所入り? | トップページ | 高田延彦と赤井英和、トリビア登場 »

2004.06.30

靖国神社でプロレス

橋本、奉納プロレス復活へ 故・力道山以来の開催目指す  [スポーツナビ

 ハッスルハウスの翌日に靖国神社とは・・・。アフロじゃなくてよかったな~。

 橋本は「オレたちプロレスラーというのは、昭和からの短い歴史の中でも、皆それを見て、感動して勇気付けられる職業でなければいけない」と原点回帰を強調。1961年4月23日に故・力道山を中心に開催され、1万5千人の観客を集めた奉納プロレスの復活について、「古い方に戻るつもりはないけど、そこからの歴史がある。そこに触れて、何でもかんでも海外の真似をするんじゃなくて、立ち帰ることで、もしかしたら新しい発見があるかもしれない」と温故知新の姿勢を示した。
 橋本は、同神社の参拝を終え、非公式に開催を打診。「日本人の誇りを持って」奉納プロレスの復活を目指す。
 靖国プロレスは聞いたことあります。結構、いろいろやってるんですよね。

 「靖国」という本の書評から。
『靖国』・書評 [書評本屋「厳選館」

 たえとば明治4年(1871年)というはやい年代に、フランスからやってきたサーカス団が靖国神社(当時は招魂社)境内で公演をおこなったことが記録されている。この公演は商業的には失敗するものの、以後、靖国は国内外の著名なサーカス団の公演の場として愛用されるようになる。それとほぼ同じ時期に競馬、物産会(博覧会)、相撲など、およそ統一感のない雑多なイベントが立て続けに開催される。特に明治維新以降、「蛮風として廃止すべし」という声もあった大相撲は、靖国で本場所が開催され、「国技」としての体裁を整えることでようやく息を吹き返した。現在では戦没者の遺品を展示している遊就館にも、美術館に近い性格を帯びていた時期があった。少なくとも明治・大正期にかけては、靖国はイデオロギーの場としてよりも、庶民のためのハイカラかつキッチュな娯楽施設として機能していたのである。
 相撲こそ靖国興行を復活させた方がいいのかも。
 昭和36年(1961年)には力道山が率いるプロレス大会が奉納され、いまでいう「ミゼット・プロレス」(!)が1万人を超す観衆の喝采を浴びた。
 ミゼットプロレスだったんですか? 「力道山率いる」ってんだから日プロだろ? 昭和36年というと力道山刺殺事件の2年前、プロレス人気絶頂の頃でしょう。うーん、よくわからん。「プロレスが行われた」というのは間違いないんだろうけど。
 さらに極めつけは、太平洋戦争敗戦から1年も経たない時期に、靖国神社とその周辺を30を超す映画館、飲食店街、商店街、ホテル、国技館、能楽堂、劇場、各種教育文化施設を備えた、大アミューズメントパークにする計画があった事実だろう。
 凄いな・・・。まぁ、靖国神社は建立から130年の比較的新しい神社なわけで、新しいモノを取り入れることにアレルギーがそれほどなかった・・・のか?

 ちょっと前に佐山さんが「靖国奉納プロレスをやる」って宣言してました。先を越される・・・それともタッグ組むか・・・。橋本も→?

 どっちにしても、実現にはしばらく時間がかかりそう。

■関連リンク
ZERO-ONE official fight site
靖國神社
■関連記事
橋本真也「今のZERO-ONEはおかしい」
■PR
今日の「ブラック・アイ」は何位かな~? 格プロBLOGランキング

|

« 浜中和宏、猪木事務所入り? | トップページ | 高田延彦と赤井英和、トリビア登場 »

コメント

あんな所で試合やられても会場がフラットだから見づらいよ。別にプロレスのステータスが上がるとも思えないから、やらなくてもいいんじゃないの? それよりも両国復帰を果たさないとダメでしょ……。

投稿: ジーニアス | 2004.07.01 02:11

>ジーニアスさん
開催すること自体が宣伝にもなりますしね。あんまり観戦する方のことまでは考えてないんでしょう。

投稿: 杉 | 2004.07.03 15:23

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 靖国神社でプロレス:

» ハッスル靖国!!について [スポコン]
「破壊王」橋本真也が6月29日、靖国神社を参拝し、力道山以来の奉納プロレス復活を目指すことを明らかにした。 詳細>スポーツナビ このニュースを目にしたのは一昨日... [続きを読む]

受信: 2004.07.02 08:14

« 浜中和宏、猪木事務所入り? | トップページ | 高田延彦と赤井英和、トリビア登場 »